ふたつの文化のあいだで

海外生活における文化的アイデンティティと「自分の居場所」

海外で暮らしていると、ふと自分が以前とは違う人間になったように感じることはありませんか?

カナダでは以前より自分の意見を伝えられるようになった。でも、日本に帰ると、昔からの友人との会話にどこか距離を感じる。日本の習慣が懐かしい一方で、今の自分には少し窮屈に感じることもある。

どちらの国にも大切なものがあるのに、どちらにいても、完全には自分の居場所を感じられない。

こうした感覚は、海外で生活する中で経験することのある、文化的なアイデンティティの変化と関係しているかもしれません。

海外で暮らすと、自分自身も少しずつ変わっていく

私たちの価値観や考え方、コミュニケーションの方法は、育ってきた文化や周囲の人間関係から影響を受けています。

新しい文化の中で生活を始めると、これまで当たり前だったことが当たり前ではなくなります。意見の伝え方、人との距離感、子育ての考え方、仕事に対する姿勢など、日常のさまざまな場面で違いに気づくようになります。

その過程で、以前の自分にはなかった考え方を取り入れたり、自分が大切にしてきた価値観を改めて見つめ直したりすることがあります。

文化的アイデンティティは、固定されたものではありません。異なる文化との関わりを通して、少しずつ変化し、形づくられていくものです(Ward & Szabó, 2023)。

つまり、海外生活を通して自分が変わっていくことは、必ずしも自分らしさを失うことではありません。

「どちらかを選ばなければいけない」というプレッシャー

海外生活では、知らないうちに「現地の文化に合わせなければ」「日本人らしさを忘れてはいけない」と、相反する期待を感じることがあります。

例えば、現地の人との関係を築くために自分の意見を積極的に伝えようとする一方で、日本の家族や友人との関係では、以前のような気遣いや遠慮を大切にしたいと思うこともあるでしょう。

どちらも自分にとって自然な一面なのに、その違いに戸惑い、「本当の自分はどちらなのだろう」と考えてしまうこともあります。

文化適応(acculturation)に関する研究では、Berryのモデルをもとに、異なる文化との関わり方を4つのパターンで説明しています。

  • Integration(統合):自分の文化的背景を大切にしながら、新しい文化にも関わっていく。

  • Assimilation(同化):自分の文化的背景よりも、新しい文化への適応を重視する。

  • Separation(分離):自分の文化的背景を維持し、新しい文化との関わりを限定する。

  • Marginalisation(周縁化):自分の文化的背景にも、新しい文化にも、十分なつながりを感じにくい状態。

Choy et al. (2021) のシステマティックレビューでは、周縁化はあまり良くないメンタルヘルスの結果と関連し、統合は比較的良好なメンタルヘルスの

結果と関連していました。

ただし、これは誰もが同じ方法で文化に適応するべきだという意味ではありません。文化との関わり方は、本人の希望だけでなく、周囲の受け入れ方や社会的な環境にも左右されます。

文化適応は、本人の努力だけでは解決できない

海外生活で感じるストレスは、考え方を変えたり、現地の文化に慣れたりするだけで解決できるものではありません。

例えば、現地の言葉を十分に使えないことで、人との交流や仕事の機会が限られることがあります。自分の学歴や職業経験が現地で評価されにくかったり、経済的な不安を抱えたりすることもあります。

Choy et al. (2021) は、教育やスキル、受け入れ先の国の言語能力、経済的な困難が、文化適応ストレスやメンタルヘルスに関係する要因として挙げています。

つまり、海外生活で感じる孤独や疎外感を、本人の努力不足として捉える必要はありません。

自分がどれだけ努力しているかだけでなく、安心して人とつながれる環境があるか、自分の経験や能力を活かせる機会があるかという視点も大切です。

自分の中にある、異なる文化の一面を認める

カウンセリングでは、「本当の自分はどちらなのか」という問いに、ひとつの答えを出すことだけを目指すわけではありません。

むしろ、これまで大切にしてきた価値観も、新しい環境で身につけた考え方も、どちらも自分の一部として理解していくことができます。

例えば、こんな問いを自分に向けてみるのもよいでしょう。

  • 日本で育った経験の中で、今も大切にしているものは何だろう?

  • 海外生活を通して、新しく身についた考え方や価値観は何だろう?

  • どんな場面で、自分らしくいられると感じるだろう?

  • 誰かに合わせるために、自分の一部を無理に抑えていないだろうか?

大切なのは、どちらの文化が正しいかを決めることではありません。自分にとって何が心地よく、何を大切にして生きていきたいのかを、少しずつ理解していくことです。

ふたつの場所に、居場所があってもいい

海外で暮らすことは、単に住む場所が変わるということだけではありません。人との関係や価値観、そして自分自身の捉え方にも変化が生まれる経験です。

以前の自分に戻る必要も、新しい文化に完全に溶け込む必要もありません。

日本で育った自分も、海外生活を通して変わってきた自分も、どちらも大切な自分の一部です。

変わっていくことは、過去の自分を置き去りにすることではありません。

ふたつの文化のあいだで揺れ動くときこそ、自分が何を大切にしているのかを見つめ直す機会になるのかもしれません。

References

Choy, B., Arunachalam, K., Gupta, S., Taylor, M., & Lee, A. (2021). Systematic review: Acculturation strategies and their impact on the mental health of migrant populations. Public Health in Practice, 2, 100069. https://doi.org/10.1016/j.puhip.2020.100069

Ward, C., & Szabó, Á. (2023). Acculturation, cultural identity and well-being. Nature Reviews Psychology, 2, 267–282. https://doi.org/10.1038/s44159-023-00171-2

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